「出会いがあれば別れがある」

人は何でこんな簡単な言葉で解決しようとするのだろう。
僕は今、こんな陳腐な言葉で片付けたくない状況に直面している。

ポケモンYからドラクエXIに気持ちが揺らいでいる。

僕の恋愛はいつもこうだ。

好きな人が出来て、別れる。
もっと好きな人が出来て、別れる。
もっともっと好きな人が出来て、別れる。

好きという気持ちのニューレコードを更新して、やっと付き合いたくなる。

別れるために付き合っているのか、
好きという感情を突き詰めたいのか、
自分ではもう分からなくなっている。

好きになるということに説明はいらない。
だからドラクエXIを好きになった僕に説明書はいらない。
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新しい「好き」に出会うと、
今まで好きだった人に「ありがとう」と「ごめんなさい」という感情を抱く。

もっと好きという感情をくれて「ありがとう」
でも君をもっと好きになってあげられなくて「ごめんなさい」

僕は不器用だから、頭の中にたくさんのスペースがない。
だから君との思い出も、好きだったという気持ちも、
全部同じケースに入れて、いつも持ち歩いている。

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ごめん。
ドラクエのケースに君を入れてごめん。

君と遊んだ時間は僕の中にずっとあって、
それを同じケースに入れないといけない。
僕の脳みそでは、まだ整理出来ていないから。
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ありがとう。

ごめんなさい。
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乗り換えるなんて言葉は使いたくない。

君との思い出を胸に次に進むんだ。


この、新しい好き、にフェードインしていくと、
前の、好きだった、をフェードアウトさせていかなきゃいけない。
このむにゃむにゃした時間が一番胸がぎゅーっと押しつぶされそうになる。
でもこれを乗り越えないと、そしていつか忘れたふりをしないと、
誰かを好きになる資格はない。

ありがとう、ポケモンY。

ごめんなさい、ポケモンY。

はじめまして、ドラクエXI。

好きを、もっと好きを僕に抱かせてね、ドラクエXI。

ドラクエと生きていくために、ポケモンを忘れたふりをする。
僕だって大人だから、忘れたふりは少し上手になった。
その方が生きやすいことを知ってる。

でも忘れた訳じゃなくて、
思い出は混ぜこぜになって僕のDNAに刻まれて、
染色体XIとYは、ずっとずっと生き続ける。
ドラクエのケースの中にいるポケモンはそんな感じ。

「好き」に説明書はいらない。

こんな言葉自体が無粋だ。
文字にした段階で説明した気持ちになる。

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僕に説明書はいらない。
例え迷ってもいい。
迷いながら、僕は何か答えを探す方が性に合っているのだ。

きっと。


ササキ「新しいゲームやるのに、いつもこれやってるんですか」

黒澤「むしろ、やらないの?」

ササキ「明日は3DSを触ってください」