2017-08-13-14-55-04

さあ、発売初日に届けてもらったドラクエに、
勇者の名前をつけなければならない。

レイヤー 2

勇者の名前を考えていたその時、
一人の名前を思い出してしまった。

かつての上司のフジミさんだ。

彼の口癖は
「今の状態をRPGで言うとな…」
だった。
 

RPGが広く普及したのはドラクエのおかげ。しかし…



僕が仕事をしている限りでは、

フジミさんのようにRPGで例える人は一定数いる。

そしてRPGはPCでやる時代から、
ファミコンなどの家庭用ゲーム機でやる時代になった。

RPGは広く普及したが、それ故RPGでの例え話も通じるようになった。

これはエニックスの功罪が大きいような気がする。
そのメインストリームを築いたのがドラゴンクエストだからだ。


ドラクエは当時、ゲームでいうと革命的だった。
〈主人公が言葉を発しない。〉

今思うと当たり前のシステムだが、
そうすることで感情移入できるのは素晴らしい。


他人の人生を冒険にする例え方。



さて、話を戻そう。

フジミさんは良くRPGに例えた。
後輩の仕事の仕方や、問題点。

皮肉を込めて言えば、
彼にとっては分かりやすく説明するための
さくせん」だったのかもしれない。


ただ、他人の人生を必ず冒険にしないといけない例え方は、
いかがなものだろうか。

確かに人の一生はドラマチックかもしれないし、
冒険に近い側面はある。
僕も記事を書くときに使うことはある。


正確に言うと、
「人生をRPGに例える人と仕事をしない方がいい」

ではなく、
他人の人生を安易にRPGに例える人と仕事をしない方がいい」
ということだ。


(他人の)人生を(安易に)RPGに例える人と仕事をしない方がいい理由。



人生はその人にとって必ずしも
冒険という言葉では片付けられるものではないし、
僕の人生を安易にRPGにされちゃうことは窮屈さを感じた。

そして一番の問題点は、
主人公が言葉を発しない
発することができない空気を作り上げてしまうことだ。

RPGに例えると割とその瞬間は納得してしまうし、
主人公である我々はゲームシステムの一部であると思い込み、
何も発せない雰囲気を作り出してしまうように感じる。

そこに「にげる」のコマンドはない。


労働、人生のゲーム化は、
強制的に社会のコマ化へ誘う。



RPGの言葉は突き刺さることも多い。
してはいけないとは言っていない。

ただ陳腐な、使い古された言葉での、
RPGハラスメントはやめてほしい。



さて勇者に名前をつけなければならない。

0813フジミ

僕は勇者にフジミと名付けた。

自分の名前をつけようと思ったが、
僕の人生が安易な「冒険」になってしまう気がした。

彼は人生を「冒険」にすることに抵抗がなかったはずだ。


フジミ、戦え。
フジミ、喋るな。
フジミ、逃げるな。


僕がかつて受けた理不尽さを、
戒めながら進もうと思うのだ。 




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